naha マラソンに向けて~回想編 人生初のフルマラソン~
2011年12月03日
11月12日(土曜)の昼、いつもの様に古島インターにスタンバイをしていた。この日はnaha マラソンコースの試走とあって非常にテンションが高かった。
本来なら明治橋をスタートし国際通り→ゆいレール安里駅前→古波蔵十字路→東バイパス経由で仲井真交差点と通るべきなのだが、休日の国際通りを走り抜けるのが何となく嫌だったので 古島インターからスタートして仲井真交差点を通る道を走る事にした。距離的には後者が1㎞短いが 体の負担は前者よりも重いと思われる。
ースタート → 南風原町 山川橋までー
さて、最高気温26度の炎天下の中 走ってみると やはり昼間 走りなれていないせいか スピードが いつもより出ていない気がした。しかし3日も休養を取ったのだから もっとスピードが出るはずだと自分に言い聞かして 勢いをつけて走ってみる事にした。これで体の負担は より一層大きくなったが いつものペースで走ってる気分になり スピードの遅さに対する後ろ向きな気持ちは無くなった。
ところが上間交差点を過ぎたあたりで時間を確認すると 走り始めて30分しか経ってない事に気付いた。以前 この区間を33分で走って オーバーペースでバテた事があるのだが、今日は その時以上のスピードが出ていた。とても嫌な予感はしたものの そのままのペースで仲井真交差点、津嘉山十字路を駆け抜けた。
そして山川橋に着いたとき事件は起きた。
バテてしまったのである(笑)。
開始から僅か8㎞でバテてしまったのである(笑)。
このピンチを乗り越えるべく、自動販売機でスポーツドリンクを一気に飲んで水分を補給し 一部は頭部にかけて体を冷やした。そしたら楽になったので、再び勢いをつけて走り始めた。
ー山川橋 → 中間地点までー
南部商業高校の坂を上りきると 緩やかなアップダウンが続いたので 更にスピードを上げて 八重瀬町のマックスバリューまで一気に駆け抜けた。
走り出して ちょうど1時間でnaha マラソンの12㎞地点であるマックスバリューに着いた。時速11㎞のペースである。
10㎞ランでも こんなに速く走った事がないので 後半で背負う代償を考えるとスゴくブルーになった。それでもなお、体が求めるままのペースで走ると このスピードになってしまうので 構わず走り続けた。
そしたらnaha マラソン17㎞地点の具志頭交差点 付近で完全にバテてしまい全く走れなくなった。頭痛も始まっていたのだ。近くの車のドアミラーで自分の顔を覗くと 真っ赤になっていた。明らかに熱中症であった。 再度スポーツドリンクを買って半分は飲んで 残りを頭部にかけて そして5分ほど休憩を取った。
もはや走れる気がしなかったのだが まずは中間地点へ行こうと 平和祈念公園へ向けて走り始めた。
具志頭交差点から ひめゆりパーク入口へと続く 2㎞近くの緩やかな上り坂は naha マラソンのコースの中で 最もキツいコースらしい。何度も走っているコースなので 上り坂で トラブルが起きる事は無かったが 昼間走ると キツい感じがした。多くのランナーが ここでリタイアを考えてしまうのも分かる気がした。
どうにかして ひめゆりパーク入口を越え、平和祈念公園へ着いた。タイムは1時間54分であった。1㎞多めに補正したとしても2時間程では走れる計算である。
残り4時間で21㎞、、、歩いてもイケるじゃんと思うと 途端に走る気を無くしてしまった(笑)。
ーランニングハイが切れてー
それでも どうにか気を持ち直して走り始めてみたが熱中症がひどく、思うようにスピードが出せなかった。しょうがないので ひめゆりの塔 近くの土産屋の手洗いを借りて 洗面台で何度も顔を洗い、頭部を濡らした。10分ほど時間をロスしたが 大分 頭痛は治まったので ランを再開した。
しかし25㎞地点すぎの琉球ガラス村 付近で またもや事件が発生した。
ランニング ハイが切れたのである。
急に「何で走ってんだろ?」という気持ちになり走る気力が無くなったのだ。
確かに今、マラソン中毒かもしれないが10㎞走ってれば まあまあ満たされる。40㎞も走る意味が分からなくなった。
これまではランニングのハイな気持ちからマラソン中毒になり、本能のまま走っていたが その支えを失った事で 私の中はカラッポになってしまったのだ。
8月始め、走るのが嫌だった私は いつか長く走る時の為に ジムで脚を鍛えた。
この過去は 今に繋がっている。25㎞を過ぎてもなお、脚は筋肉痛を起こしておらず走れる状態にあった。しかし どうしても心の方が 走る気持ちになれなかったのだ。
ーそもそも何故走っているのかー
そこで自分が何故マラソンをするようになったか もう一度 自問自答してみる事にした。
・ダイエットの為? → いや、あれは走る為に「悩み」にしたもの
・走る実感を得たいから? → 42㎞に こだわる必要は無い。別に10㎞とかでも良い
・naha マラソンを完走した実感を得たい? → そう。でも残り時間考えると走らなくても良いし
・速く走りたくないの? → そうだけど今は膝痛が恐いetc
色々 自問自答したがこのような経験をした事が無く、頭の中は混乱しきっており答えが出る事は無かった。論理的に考えようと試みたが、それだと既存の知識ばかりで 未知なる部分が排除される恐れがあったので 混乱は混乱のまま残す事にした。
思えば 本能のままに走っていて 走る意味など あまり考えて無かった気がする。ランニングハイが切れて始めて気づいたのだが走る事 それ自体に意味はない。
今走ってる私自身が意味を与える事でカラッポの体は埋まっていくのだ。
そう考えると私は「マラソン坊や」では無く、生まれてすら無いマラソン胎児である。
さて、ランニングハイが切れた頭の中で前述の様な状況が続き、走る前に決めていた「6時間以内のゴールを目指す」で心を埋めようと思ったが、歩いても6時間以内でゴールできるので(5時間目標とは考えていたものの) それで埋めると最後まで歩いてしまう懸念があった。だから心はカラッポにしたままにして歩きたければ歩き、走りたければ走りという様に 好き勝手に進む事にした。
ーラン再開 → ゴールまでー
琉球ガラス村過ぎからはひたすら歩き、30㎞地点手前のスーパーで再び手洗いを借りて熱を持った体を水で濡らして冷やした。21㎞地点から30㎞地点に来るのに80分もかかってしまった。
それからは走ったり歩いたりを繰り返して阿波根交差点を過ぎ、トヨタのショールームを過ぎ(←naha マラソンのジョガーの為に 無料で冷たい水を提供して下さるので宣伝します)、走り始めて4時間で35㎞地点を越えたメイクマン前まで辿り着いた。
そこからの坂は これまで経験した事の無いぐらいキツかった。さすがに この距離まで来ると 筋肉痛、膝痛が始まってきたのだ(何より心がカラッポのままである事がキツかったが)。走→歩→走→歩 から 走→歩→歩→走 、歩→歩→歩→走という風に 歩きメインになってきて もう最後まで歩こうかと思ったが、数ヶ月あとに「フルマラソン 35㎞地点からダッシュラン」の練習をしているアホな自分の姿がイメージ出来たので その未来に繋げるべく 可能な限り走り続ける事にした。
ここで苦しんで走った感覚などのデータを 少しでも多く取りたくなったのだ。
そうこうする内にJUSCO那覇店まで辿り着いた。膝痛が ますますキツくはなったが それでも止まらず進み続けた。奥武山が見え、もうゴールまで目の前だと思ったが ここからが長かった。
どうにかして奥武山公園に入り、運動場へ着いたが封鎖されていて入れなかったので運動場の周辺を一周して終わるというヌルい結末を迎えたが(笑)、記録は4時間44分という私にしてみりゃ好タイム、縁起としては最悪のタイムであった(42㎞換算では4時間51分ぐらいだろうが、、)。
6時間という制限時間に捕らわれず 走れる事が分かったので とても嬉しくなった。本番でコスプレランしてみようかな、それとも裸足で走ってみようか(笑)などアレコレ思い巡らせ 本番が待ち遠しくなった。 走る意味を考えるのは いつでも出来る、まずは本番を最大限に味わおうと 心をカラッポにして走る事にした。
次回 naha マラソンに向けて ~回想編 最終回 11月第3週&第4週~ 本日23時更新予定
本来なら明治橋をスタートし国際通り→ゆいレール安里駅前→古波蔵十字路→東バイパス経由で仲井真交差点と通るべきなのだが、休日の国際通りを走り抜けるのが何となく嫌だったので 古島インターからスタートして仲井真交差点を通る道を走る事にした。距離的には後者が1㎞短いが 体の負担は前者よりも重いと思われる。
ースタート → 南風原町 山川橋までー
さて、最高気温26度の炎天下の中 走ってみると やはり昼間 走りなれていないせいか スピードが いつもより出ていない気がした。しかし3日も休養を取ったのだから もっとスピードが出るはずだと自分に言い聞かして 勢いをつけて走ってみる事にした。これで体の負担は より一層大きくなったが いつものペースで走ってる気分になり スピードの遅さに対する後ろ向きな気持ちは無くなった。
ところが上間交差点を過ぎたあたりで時間を確認すると 走り始めて30分しか経ってない事に気付いた。以前 この区間を33分で走って オーバーペースでバテた事があるのだが、今日は その時以上のスピードが出ていた。とても嫌な予感はしたものの そのままのペースで仲井真交差点、津嘉山十字路を駆け抜けた。
そして山川橋に着いたとき事件は起きた。
バテてしまったのである(笑)。
開始から僅か8㎞でバテてしまったのである(笑)。
このピンチを乗り越えるべく、自動販売機でスポーツドリンクを一気に飲んで水分を補給し 一部は頭部にかけて体を冷やした。そしたら楽になったので、再び勢いをつけて走り始めた。
ー山川橋 → 中間地点までー
南部商業高校の坂を上りきると 緩やかなアップダウンが続いたので 更にスピードを上げて 八重瀬町のマックスバリューまで一気に駆け抜けた。
走り出して ちょうど1時間でnaha マラソンの12㎞地点であるマックスバリューに着いた。時速11㎞のペースである。
10㎞ランでも こんなに速く走った事がないので 後半で背負う代償を考えるとスゴくブルーになった。それでもなお、体が求めるままのペースで走ると このスピードになってしまうので 構わず走り続けた。
そしたらnaha マラソン17㎞地点の具志頭交差点 付近で完全にバテてしまい全く走れなくなった。頭痛も始まっていたのだ。近くの車のドアミラーで自分の顔を覗くと 真っ赤になっていた。明らかに熱中症であった。 再度スポーツドリンクを買って半分は飲んで 残りを頭部にかけて そして5分ほど休憩を取った。
もはや走れる気がしなかったのだが まずは中間地点へ行こうと 平和祈念公園へ向けて走り始めた。
具志頭交差点から ひめゆりパーク入口へと続く 2㎞近くの緩やかな上り坂は naha マラソンのコースの中で 最もキツいコースらしい。何度も走っているコースなので 上り坂で トラブルが起きる事は無かったが 昼間走ると キツい感じがした。多くのランナーが ここでリタイアを考えてしまうのも分かる気がした。
どうにかして ひめゆりパーク入口を越え、平和祈念公園へ着いた。タイムは1時間54分であった。1㎞多めに補正したとしても2時間程では走れる計算である。
残り4時間で21㎞、、、歩いてもイケるじゃんと思うと 途端に走る気を無くしてしまった(笑)。
ーランニングハイが切れてー
それでも どうにか気を持ち直して走り始めてみたが熱中症がひどく、思うようにスピードが出せなかった。しょうがないので ひめゆりの塔 近くの土産屋の手洗いを借りて 洗面台で何度も顔を洗い、頭部を濡らした。10分ほど時間をロスしたが 大分 頭痛は治まったので ランを再開した。
しかし25㎞地点すぎの琉球ガラス村 付近で またもや事件が発生した。
ランニング ハイが切れたのである。
急に「何で走ってんだろ?」という気持ちになり走る気力が無くなったのだ。
確かに今、マラソン中毒かもしれないが10㎞走ってれば まあまあ満たされる。40㎞も走る意味が分からなくなった。
これまではランニングのハイな気持ちからマラソン中毒になり、本能のまま走っていたが その支えを失った事で 私の中はカラッポになってしまったのだ。
8月始め、走るのが嫌だった私は いつか長く走る時の為に ジムで脚を鍛えた。
この過去は 今に繋がっている。25㎞を過ぎてもなお、脚は筋肉痛を起こしておらず走れる状態にあった。しかし どうしても心の方が 走る気持ちになれなかったのだ。
ーそもそも何故走っているのかー
そこで自分が何故マラソンをするようになったか もう一度 自問自答してみる事にした。
・ダイエットの為? → いや、あれは走る為に「悩み」にしたもの
・走る実感を得たいから? → 42㎞に こだわる必要は無い。別に10㎞とかでも良い
・naha マラソンを完走した実感を得たい? → そう。でも残り時間考えると走らなくても良いし
・速く走りたくないの? → そうだけど今は膝痛が恐いetc
色々 自問自答したがこのような経験をした事が無く、頭の中は混乱しきっており答えが出る事は無かった。論理的に考えようと試みたが、それだと既存の知識ばかりで 未知なる部分が排除される恐れがあったので 混乱は混乱のまま残す事にした。
思えば 本能のままに走っていて 走る意味など あまり考えて無かった気がする。ランニングハイが切れて始めて気づいたのだが走る事 それ自体に意味はない。
今走ってる私自身が意味を与える事でカラッポの体は埋まっていくのだ。
そう考えると私は「マラソン坊や」では無く、生まれてすら無いマラソン胎児である。
さて、ランニングハイが切れた頭の中で前述の様な状況が続き、走る前に決めていた「6時間以内のゴールを目指す」で心を埋めようと思ったが、歩いても6時間以内でゴールできるので(5時間目標とは考えていたものの) それで埋めると最後まで歩いてしまう懸念があった。だから心はカラッポにしたままにして歩きたければ歩き、走りたければ走りという様に 好き勝手に進む事にした。
ーラン再開 → ゴールまでー
琉球ガラス村過ぎからはひたすら歩き、30㎞地点手前のスーパーで再び手洗いを借りて熱を持った体を水で濡らして冷やした。21㎞地点から30㎞地点に来るのに80分もかかってしまった。
それからは走ったり歩いたりを繰り返して阿波根交差点を過ぎ、トヨタのショールームを過ぎ(←naha マラソンのジョガーの為に 無料で冷たい水を提供して下さるので宣伝します)、走り始めて4時間で35㎞地点を越えたメイクマン前まで辿り着いた。
そこからの坂は これまで経験した事の無いぐらいキツかった。さすがに この距離まで来ると 筋肉痛、膝痛が始まってきたのだ(何より心がカラッポのままである事がキツかったが)。走→歩→走→歩 から 走→歩→歩→走 、歩→歩→歩→走という風に 歩きメインになってきて もう最後まで歩こうかと思ったが、数ヶ月あとに「フルマラソン 35㎞地点からダッシュラン」の練習をしているアホな自分の姿がイメージ出来たので その未来に繋げるべく 可能な限り走り続ける事にした。
ここで苦しんで走った感覚などのデータを 少しでも多く取りたくなったのだ。
そうこうする内にJUSCO那覇店まで辿り着いた。膝痛が ますますキツくはなったが それでも止まらず進み続けた。奥武山が見え、もうゴールまで目の前だと思ったが ここからが長かった。
どうにかして奥武山公園に入り、運動場へ着いたが封鎖されていて入れなかったので運動場の周辺を一周して終わるというヌルい結末を迎えたが(笑)、記録は4時間44分という私にしてみりゃ好タイム、縁起としては最悪のタイムであった(42㎞換算では4時間51分ぐらいだろうが、、)。
6時間という制限時間に捕らわれず 走れる事が分かったので とても嬉しくなった。本番でコスプレランしてみようかな、それとも裸足で走ってみようか(笑)などアレコレ思い巡らせ 本番が待ち遠しくなった。 走る意味を考えるのは いつでも出来る、まずは本番を最大限に味わおうと 心をカラッポにして走る事にした。
次回 naha マラソンに向けて ~回想編 最終回 11月第3週&第4週~ 本日23時更新予定
Posted by UTMB哲 at 00:46│Comments(0)
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