QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
プロフィール
UTMB哲
2011年7月時点で 3キロを走れなかったマラソン初心者が
2011年12月にフルマラソンを完走し、
2013年1月に100kmマラソンを完走するまでのトレーニング記録を
すべて綴ったブログです。
現在、160kmマラソン完走に向けてトレーニングをしています。

イルミネーションrun

2011年12月24日

nahaマラソンから10日後の12月14日の夜中にトレーニングを再開する事にした。

目標は2月に行われる おきなわマラソンで 5時間を切る事である。


レディー・ガガのコスプレで



いや



Mr.レディー・ガガと言った方が適切か



更なる走力アップの為に これからのトレーニングは1回のランで最低20㎞以上走るか、
それ以下の距離であれば スピードを時速12㎞以上 = キロ5分以下で走ろうと決めた。
もちろん ただ走るだけでも走力はアップするので無理の無い範囲で という前提である。


さて、この日は 19時半すぎに家を出て自宅から331号線の
旧知念村と玉城村の村境へと目指して走り出した。
辺りは真っ暗で怖かったが、昼間走る時間が無いので仕方がないと割り切った。
走り出して あっという間に村境へと着いた。ここからイルミネーションrunのスタートである。
イルミネーションrun って何? と思っている私以外の全人類に対して以下の説明をする。



今から20年近く前の12月、夜中に家族で県道86号線を
南風原から知念に向けて車を走らせていたときの事であった。
仲間から大城へと向かう道の途中、ふと左を見ると、
山の中腹にある民家がイルミネーションで輝いていた。
近くで見たいと親に頼んでみたものの 叶えてくれる事は無く
近くで見るとスッゴク綺麗なんだろうな、走ってでも行きたいと 強く切望したが
実行する事の無いまま 記憶の隅へと追いやられていった。

それから約10年後 車の免許を取得した年の12月、 ふと 件の民家を思いだし 車を走らせて民家の手前へと辿り着いた。しかし私が昔 想像していた光景と違っていた事、その頃には他の民家もイルミネーションをするようになって目新しさが無くなった事から 大して感動すること無く 再び記憶の隅へと戻っていった。

さらに10年経ち、そこそこの走力を身に付けた私は 再度 件の民家の事を思い出し 「走って あの家のイルミネーションをみたい」という かつての切望を叶えてみる事にした。
車で行ったときは 感動は無かったが 走ってみたら どんな感じなんだろう。
それだけの動機で 今回、イルミネーションrun を実施する事にした。
幼い頃 実現出来なかった夢を再現させ、成仏させようという狙いである。



さて、更なるトレーニングの為、村境からスピードを出して坂を登ったが、
走り始めて10分もしないうちに百名のガソリンスタンドでバテてしまった(笑)。
しかし、8月の時点では 早歩きのペースで20分走れなかった私である。
クヨクヨせず バテバテのペースながら走りを辞めなかった。
その後 グスクロード公園へ続く道へと進んだが街灯は一切無くなって
道は真っ暗になり 怖くなって自然とスピードが上がった(笑)。
グスクロード公園を通過して 消防署を右に曲がり坂を下って左へ曲がり大城ダムへと向かった。
相変わらず街灯は ほとんど無く 車が通らないときは闇と静寂が辺りを包んだ。
私の足音が周りに響いている錯覚すら覚える程に。
その恐怖に耐えきれず下り坂を 大城ダム付近の下り坂をダッシュで走り抜けた。

ダムを通過すると集落の灯りが見え、ホッとしたが 膝痛が始まった。
下り坂をダッシュした反動がモロに膝に来てしまった。
そこまで速く走ってなかったが、まだまだ初心者であるが故であろう。
スピードrunをする境地に至ってないと痛感した。

大城から真境名へ続く道へ進み 件の民家へと辿り着いた。

結論から言うと

車で来たときと印象は変わらないどころか

イルミネーションが以前よりショボくなっていた。

切電対策の波は沖縄にまで波及してるのだろうか(してねえけど)、改めて 感動しないという実感を受けた。

ともかく走って 件の民家へと行くという願望は成仏した為 このまま帰ろうと思ったが 真っ暗な道を通りたくなかったので 他のイルミネーションを求めて走る事にした。



大城から真境名を通過して大里内原公園を通り、
東部清掃施設組合の工場に飾り付けされたイルミネーションを拝見した
(与那原の板良敷にある リハビリテーションの近くのイルミネーション)。
焼却場の煙突を利用している為、サイズが非常にデカく圧倒された。
いずれメディアでも取り上げられるであろうから今後も続けていって欲しいと思った。

リハビリテーション学院へと到着するとようやく完全に気がゆるんだ。ずっと闇の中を走っていたのだから。
那覇市街を走ったとき 排気ガスや通行人の多さに辟易した事もあったが
走るなら空気がキレイで暗いよりも こっちのが良いなと思った。

その後、学院の向かいの民家のイルミネーションを眺めたりと寄り道しながら
走り続け津波古交差点を通過し、次に佐敷の小谷にあるイルミネーションの舞台へと辿り着いた。

地元の方がボランティアで作成したという光の通路は、夜9時過ぎにも関わらず大勢、
といっても10数人程であるが 家族連れで賑わっていたが、皆、感動というより
こういう所もあるんだ的な新鮮さを味わってるように見えた。

しかし、闇の中を走ってきた私にとっては この光は癒しそのものであった。
車で来たら この感動は得られなかったに違いない。
闇の中を走るという行為を通じて見たイルミネーションが こんなに素晴らしいとは夢にも思わなかった。
イルミネーションrunをして良かったと思った。

その後、6㎞の道のりを走って家へ戻った時には夜10時を過ぎていた。21㎞の距離を2時間半かけて駆け抜けた。

久々のランニングで脚の筋肉痛は酷かったものの、気持ちは充実してた。何かテーマを設けて走った方が面白いと思った私は 次回から沖縄南部の市町村を一周するランを実行しようと決めた。

近日中に まずは糸満を一周しよう、そう誓ったのだった。


同じカテゴリー(トレーニング記録)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。